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熊谷 千草さん(東京都)

 ラッシュのピークは過ぎているはずなのに午前中の電車はまだ混んでいる。電車のドアが開くと堰を切ったように放出される人々。その直後、電車にたくさんの人が吸い込まれていく。見飽きた光景だ。平日に有休を取り、買い物に行こうとした私はガラガラの電車に座るつもりだったが、予想外の光景にがっくりと肩を落とした。

 目的の駅で電車を降り出口に群がる人々を見て私は早足で歩こうとした。しかし、ふと思いとどまった。今日は休日だ。急ぐ必要などどこにもない。休日でさえ急ごうとしている自分にとても驚いた。社会人生活数年を経て、知らぬうちに「時間の短縮」をよしとするような考えに染まっていたのだ。

 一呼吸置いてゆっくり歩き出口に進んだ。ゆっくり歩を進める私を何人もの人々が追い抜いていく。誰もが慌ただしく歩き、走っている。とても不思議な光景だった。どうしてそんなに急ぐのか。どうしてそんなに時間を短縮したがるのか。ついさっきまで私も彼らと同じように急いでいたのに。

 突然、私の周りだけが「早送りの映像」になっているような錯覚に陥った。確かに時間は大切だけれども、その時間の中に我々の「いのち」が存在している。折角この世に生まれたのだから、少しだけでも時間に身を委ねゆっくり生きてもいいのかもしれない、と私は思った。

 それ以来、出勤の時は早目に家を出てゆっくりと通勤している。目の前の電車のドアが閉まりそうでも、体をねじ込んで乗る事はせずその電車を見送り、ホームでゆっくりと次の電車を待つのだ。早足で歩いたりしない。

 「この電車に乗らないと!」「急がないと!」という思いを消して電車を見送ることで、心が少し落ち着き、気持ちがやや大きくなる。自分で自分を縛る「時間の縄」が解けるからだ。

 早足で歩き、ぎゅうぎゅうの電車に潜り込むことで、早く出社できたり早く帰宅できたりする。おそらく、数分や数十分の時間が生まれるだろう。しかし、ゆっくり歩いて電車を選んで乗ることで精神的な余裕が生まれる。それまでの私には「時間」しか選択肢がなかったが、これをきっかけに「余裕」という選択肢が増え、そして専ら「余裕」を選んでいる。

 休日もゆっくり歩くようになった。しかし、休日ですら人々は急いでいる。体と心を休める日ですら早足なのだ。目まぐるしく動く社会に生きている私達は、慣性の法則に従うかの如く目まぐるしく生きている。私は、それを少し悲しく思う。


(2010/03/25)

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